矢川

 先週末は友人の結婚式で上京。
 相変わらず人が多い。でも、交通機関は待たなくていいから便利、と思っていたら、人身事故で1時間待たされたり。進んで住もうとは思わないな、東京に。
 新宿駅の西口から右の方へ進むと現れる、高架下沿いに軒を連ねる飲み屋はなかなか風情があってよかった。
 立川通り沿いのスペイン料理店のご主人がE塚出身だったり。世間は狭い。甲子園、残念でした。どうせじきにスペインに行くのだから、今行かなくとも、という気もするが、嫁を説き伏せる自信がない。
 前日には生まれ育った国立市矢川周辺を嫁と散策。親に正確な情報をもらわず、肩肘張って、保育園の名前と記憶だけを頼りに歩いてみたが、なんせ26年ぶり、ということで、なんとなくここらへんなのか、という曖昧な妥協的結論に着地することになる。聞いていけばよかった。
 文具屋さんの話に拠れば、保育園は相続税納税のために広大な園庭を売ってしまったとのこと。代わりに築10年ほどの住宅街が窮屈そうに体育座りをしていた。農園の規模も記憶の減退と歩調を合わせて目減りしたような気がする。
 矢川は水量が減ったような印象だが、基本的にはそのまま。鮒はもういない。
 緑地で蚊に刺されて、いくつか公園をめぐって、ルンペンのおじ(い)さんに煙草を寄付、文明の利器を賢く使えば九州まで行くのに一晩もかからないことを教えてあげて、かみ合わない会話を楽しみ、住宅街にかつての並びを幻視する。暑かった。
 文教地区だからというより、競輪場その他が近い、という理由で、私はここに生まれたのではないだろうか、と血の因縁を呪ってみる。競輪にはまだ手を出していない。

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

 市井の人々と様々な学者が一同に会して理性について議論する、という設定の仮想シンポジウム。読みやすい。カント学者がボケの役割を演じている。ゲーデル不完全性定理のイメージがつかめた。獅子身中の虫の腹の中に虫の腹の中に虫の腹の中に虫…、ということか。