愛すべき教師たち

 奥田秀朗の延長戦に入りました (幻冬舎文庫)を読んでいたら、ゲハゲハ笑いながらちょっと思い出した。
 教師というのは殴る職業だ、という社会の常識が黄粉のように甘く砕け蟻にたかられ始めてから随分経つ。でも、昔を思い返すと、使わずに放置されていた食塩のように、それはもうがっちがちだった。しかも思い出すと実にしょっぱい。
 いや、まあ、自分が悪いことをしたせいで殴られるのは、それはそれでいいんじゃないかと納得したふりはできるし、なによりそういう折檻のわだかまりはさっさと氷解してしまう。
 私が中学の頃、往復びんた専門の数学教師がいた。「彼」は笑いながら殴ることで有名だった。主に出没するのは昼休憩後の掃除の時間で、掃除をさぼっている生徒をめざとく見つけては校舎の側面に沿って並ぶ花壇のそばまで引っ張っていき、ぱんぱんぱんぱんぱんと食らわす。音が鳴り始めると、掃除道具を放り出して見物に走る生徒がいる。校舎の三階からびんたの数をかぞえる上級生の女生徒がいる。一階の教室からゆがんだ顔を左右に振る犠牲者へ手を振る生徒がいる。「彼」のにやけた表情を除けば、なんともほほえましい日常の一コマだった。
 往復びんたの逸話は当事者ではない私にとっては文字通り他人事だし、まあ往復びんたに値するかどうかは別として、掃除をサボっていた生徒を咎めるという口実もあるわけなので、特段心が痛むことはない。むしろ、びんたの数をかぞえる女生徒のカウントがこだまする中、記憶の中の生贄の頬が赤みと熱を帯びていくにつれ、私の心にはあの中学校の校庭と校舎とがなんともいえない温かみを伴って蘇ってくる。バックミュージックは、当時の流行歌ではないけど「揺れる思い」にしておこう。ただし、揺れているのはNくんの顔面である。Nくん、すまん。
 理不尽きわまりないのは、小学校の教師たちだった。中でも小学校5、6年の担任たちの理不尽さは突出していた。
 小学校5年の担任は、三十がらみのややふくよかな女性教師だった。教壇に立つ「彼女」、従順な生徒、隅々まで掃除の行き届いた教室。どこにでもある風景だけど、黒板の隅に立てかけられている金色の棒が異彩を放つ。その名も「金の延べ棒」。「彼女」の気にくわない出来事が起こると、名指しされた生徒たちは黒板の前に整列する。そして、半ズボンの下に伸びるうら若き少年たちのやわらかな大腿部めがけて、往年のブーマーのフルスウィングさながらの勢いで、「金の延べ棒」が飛んでくる。思い出しただけでミミズ腫れができそうだ。
 竹に金メッキを塗っただけの棒を「金の延べ棒」と呼ぶそのセンスからして、「彼女」のお里が知れる。「きんた○ついてんのか、この野郎」と堂々と叫ぶ姿を足せば「あわせ技一本」、「彼女」はほぼ確実にレディース上がりだった。
 レディース上がりのせいか、「彼女」にはかなりルナティックな言動が目立った。あるとき、音楽の授業でうまく音がとれず、音楽専門の初老の先生、通称・猿にこっぴどく叱られたことがあった。クラス全体が落ち込んだ雰囲気で帰ってくると、「彼女」はなぜか半分泣きそうな顔でまくし立て始めた。なんでも「彼女」は「猿」の教え子だったそうで(狭い世界だ)、「猿」に嫌われたのは僕らのせい、ということらしい。読点のところに千尋の谷の大口が開いているさまはようやく十代に突入したばかりの僕らにもはっきり見えたのだけど、どうやら「彼女」には見えなかったらしい。怒っているのか泣いているのかよくわからない「彼女」の説教は、猖獗(しょうけつ)を極めた。嵐が過ぎると、なぜか僕らは「猿」のところに謝りに行くことになった。
 レディース上がりのくせに、フォークダンスが大好きな教師だった。男女の仲が悪い、という女王のお沙汰がくだり、ドッヂボールやキックベースに興じる小学生たちが歓声を上げる昼休みの校庭の真ん中で、僕ら舎弟たちはフォークダンスをひたすら踊った。大人になってオクラホマミキサーを耳にしても心が踊らないのはそういうわけだ。おまけに、男子は女子をさんづけで、女子は男子をくんづけで呼ぶことが制度化され、あだ名で呼ぶことは禁止されていた。それで男女の仲が悪いといわれてもなあ。
 6年生に進級すると、新たに担任となった二十代の熱血漢は、男女をあだ名で呼ぶことを奨励した。朝令暮改とはこのことだ。ようやくまともな先生にめぐり遭えた、と思った。けれども、まだそのときは、カトリーナが去った喜びに胸がいっぱいで、グスタフが目の前にいることに僕らはまだ気づいていなかった。
 それはまた、別の話。