心神耗弱(訂正済み)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

 刑法39条、いわゆる心神喪失と心身耗弱を理由とした無罪放免、減刑の規定を批判する本。
 過去の犯行時における被告の精神状態、責任能力の有無を推察するために行われる精神鑑定は、被告の常軌を逸した行動から推論してその内的な心身耗弱を結論づける、というような同義反復に満ちており、論理的に破綻している。しかも、精神鑑定を外部委託する裁判所は、この条項に関して思考停止に陥り、支離滅裂な精神鑑定に対して独自の法的判断を下さず、そのまま情状酌量の材料として採用してしまう。従って、精神鑑定にかけられた被告は、ほぼ例外なく減刑を、ときには無罪を勝ち取ることになる。
 こうしたケースは特殊ではない。ほぼ全ての犯罪に刑法39条は適用されうる。というのも、心神喪失を明確に定義した条文は存在しないからだ。精神疾患を偽る詐病のみならず、犯行前に薬物や酒類を自分の意思で摂取した場合も、刑法39条適用の対象となる。いや、そもそも、犯行にいたるものはすべて何らかの点で常軌を逸した精神状態にある、というのはほぼ国民の総意といっていいのではないか。
 また、刑法178条では、加害者が薬物や酒類を被害者に摂取させ、心神喪失、または心身耗弱の状態に至らしめた場合、強姦罪ではなく、やや刑罰の軽い準強姦罪を適用する旨明記されている。強姦罪は、被害者側の抵抗が立証できない場合、和姦として処理される。そのため、準強姦罪は、被害者が抵抗できないような状況下に置かれたケースに、加害者を無罪放免してしまう愚を犯さぬための便宜的措置といえる。日垣が問題視するのは、準強姦罪が強姦の被害者に対して「心神喪失」のレッテルを貼る点である。本来であれば、加害者が故意に薬物等を使用することで被害者の抵抗力を殺いだ場合を想定し、強姦罪の規定を補強するだけでよいはずだ。しかし、現状の刑法は、わざわざ準強姦罪という規定を設けることで、法解釈に混乱をきたしているだけではなく、犯罪被害者を差別的に扱うことになる。まず第一に強姦目的になされる薬物投与等の行為が「強姦罪」の規定する「暴行」から切り離され、「心神喪失」として付随的に扱われる。このため、性行為自体が未遂に終わった場合、強姦罪が規定する「暴行」はなかったことになる。また第二に、言語能力の劣る被害者が強姦の被害にあった場合、その被害者は「心神喪失」の状態にあったと規定される。しかし、言語能力に劣る被害者が性行為の際に性交相手との意思疎通を欠く「心神喪失」状態にあると認定するのであれば、強姦と和姦の区別はなくなってしまう。結果的に、彼/女に性行為を禁じることになってしまう。*1しかし、裏を返せば、すべての加害者が被害者に対して薬物等の投与を行った上で強姦に及べば、その刑罰は、強姦罪ではなく、準強姦罪へと減刑されることになる。ここにおいても、心神喪失心神耗弱が犯罪加害者の減刑に与していると考えられる。
 さらに、心身喪失や心身耗弱が法制度の中である種の免罪符として働く一方で、そうした司法の判断が精神障害者犯罪予備軍として事後的に規定してしまう、という点も見逃せない。犯罪や危機が起こったあとの処置を重視する受動的防衛から、それらの抑止の手段を講じる積極的防衛へと世論が傾く現代において、およそ19世紀的なプロファイリングが犯罪に無関係の市民から自由を奪っていく危険性は高い*2
 このように、罪刑法定主義を掲げるわが国の法体系は、刑法39条を震源として大きく揺らいでいる。
 日垣の修正案は、まず心神喪失の状態を厳密に定義すること。運転中の脳卒中による交通事故など、本人の意思とは無関係に前後不覚の状態に陥った場合のみに心神喪失を限定し、本人の意思で薬物や酒類を摂取したケースを排除する。当然ながら、刑法178条の準強姦罪の撤廃をも含む。次に、論理的立証が不可能な心神耗弱を条文から抹消する。ほぼ全ての犯罪を射程に含みいれてしまう心神耗弱の規定を外すことで、曖昧さを排除する。
 以上の二点から明らかなように、精神障害を装う詐病はもとより、犯罪を犯した精神障害者の免罪も日垣の修正案では排除されている。本来、罪刑法定主義の主眼は、罪の軽重に応じた罰則にある。加害者の精神状態の如何にはない。
 犯罪によって肉親の一人を失い、また肉親に精神障害者がいる家庭環境に育った日垣のライフワークといえる仕事だと思う。

*1:id:pas-a-pasさんの指摘を受け、本書を再確認し、訂正。ありがとうございました。

*2:1995年に改正されるまで、刑法40条は、聾唖者による犯罪をすべて無罪放免する罰しない、あるいは減刑する、と規定していた(同じく、id:pas-a-pasさんの指摘を受け、本書を再確認し、訂正。ありがとうございました。)聾唖者は法的に責任能力を欠いた幼生成熟として扱われていた。