心神耗弱(訂正済み)
- 作者: 日垣隆
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: 文庫
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過去の犯行時における被告の精神状態、責任能力の有無を推察するために行われる精神鑑定は、被告の常軌を逸した行動から推論してその内的な心身耗弱を結論づける、というような同義反復に満ちており、論理的に破綻している。しかも、精神鑑定を外部委託する裁判所は、この条項に関して思考停止に陥り、支離滅裂な精神鑑定に対して独自の法的判断を下さず、そのまま情状酌量の材料として採用してしまう。従って、精神鑑定にかけられた被告は、ほぼ例外なく減刑を、ときには無罪を勝ち取ることになる。
こうしたケースは特殊ではない。ほぼ全ての犯罪に刑法39条は適用されうる。というのも、心神喪失を明確に定義した条文は存在しないからだ。精神疾患を偽る詐病のみならず、犯行前に薬物や酒類を自分の意思で摂取した場合も、刑法39条適用の対象となる。いや、そもそも、犯行にいたるものはすべて何らかの点で常軌を逸した精神状態にある、というのはほぼ国民の総意といっていいのではないか。
また、刑法178条では、加害者が薬物や酒類を被害者に摂取させ、心神喪失、または心身耗弱の状態に至らしめた場合、強姦罪ではなく、
さらに、心身喪失や心身耗弱が法制度の中である種の免罪符として働く一方で、そうした司法の判断が精神障害者を犯罪予備軍として事後的に規定してしまう、という点も見逃せない。犯罪や危機が起こったあとの処置を重視する受動的防衛から、それらの抑止の手段を講じる積極的防衛へと世論が傾く現代において、およそ19世紀的なプロファイリングが犯罪に無関係の市民から自由を奪っていく危険性は高い*2。
このように、罪刑法定主義を掲げるわが国の法体系は、刑法39条を震源として大きく揺らいでいる。
日垣の修正案は、まず心神喪失の状態を厳密に定義すること。運転中の脳卒中による交通事故など、本人の意思とは無関係に前後不覚の状態に陥った場合のみに心神喪失を限定し、本人の意思で薬物や酒類を摂取したケースを排除する。当然ながら、刑法178条の準強姦罪の撤廃をも含む。次に、論理的立証が不可能な心神耗弱を条文から抹消する。ほぼ全ての犯罪を射程に含みいれてしまう心神耗弱の規定を外すことで、曖昧さを排除する。
以上の二点から明らかなように、精神障害を装う詐病はもとより、犯罪を犯した精神障害者の免罪も日垣の修正案では排除されている。本来、罪刑法定主義の主眼は、罪の軽重に応じた罰則にある。加害者の精神状態の如何にはない。
犯罪によって肉親の一人を失い、また肉親に精神障害者がいる家庭環境に育った日垣のライフワークといえる仕事だと思う。
*1:id:pas-a-pasさんの指摘を受け、本書を再確認し、訂正。ありがとうございました。
*2:1995年に改正されるまで、刑法40条は、聾唖者による犯罪をすべて無罪放免する罰しない、あるいは減刑する、と規定していた(同じく、id:pas-a-pasさんの指摘を受け、本書を再確認し、訂正。ありがとうございました。)聾唖者は法的に責任能力を欠いた幼生成熟として扱われていた。