生ける屍の死

 親知らなんとかは小康状態に落ち着き、このままなかったことになればいいな、と思う。

生ける屍の死 (創元推理文庫)

生ける屍の死 (創元推理文庫)

 なかなか小説が読めず。ようやく。
 遠くイングランドでは「ヒルズボロの悲劇」20周年の記念式典がしめやかに執り行われているが、死者が次から次に蘇るニューイングランドの田園墓地を舞台にしたこの伝説的本格ミステリも出版から早や20年。今更、手に取る。解説・法月綸太郎
 長い。
 薀蓄、該博、衒学。
 木の葉を隠すなら森の中、死体を隠すなら死体の中(チェスタントン)。そしてゾンビを隠すならゾンビの中。
 現代アメリカの葬儀事情が、突飛な虚構の世界の土台となっている。葬送小説として読んでもいいかも。
 移民やピルグリムの挿話あたりの長々とした件はいらないんじゃないかとも思ったが、瑣末なトリックうんぬんよりも独特の死生観に根ざした動機が鍵を握るので、まああったほうがいいかもしれない。もう少し小出しにして欲しかった。いきなり全開なので、私のようなライトユーザーは取り扱い注意。
 しかし、日系のパンク探偵と死者が蘇る世界、という独創的な組み合わせは他の追随を許さない。大きな謎を小さな理路に嵌め込む、という本格の作法が行き詰る中、謎の大きさで勝負するのではなく、理路の足場を読者のいる現実からずらして設計するという発想はまあ凄い。ありえない突飛な設定だからといって理路がなくなるわけではない。むしろそうした設定の褶曲は、理路を現実離れした地点で強化する奇貨にすらなる。狂気を帯びた犯人=作家の動機は、事件の真相だけではなく、物語の構造自体をもほの暗く照らす。

 

「[中略] ある偉大な作家が言ったように、狂人とは理性を失った人ではなく、理性以外のあらゆるものを失った人のことを指す。狂人は狂人なりの論理をもつ。正気の人間のような感情や不安・不信などの入り込む余地のない純粋で確固たる論理をね。そして、それに従って行動するものなんだ」

 
 これはたぶん、パスカルの『パンセ』じゃないかね。
 今や、ファンタジーやSFの設定を物語世界内的現実として取り入れてミステリの裾野を広げようとする試みは、当たり前になりつつある。そんな最近のミステリと比べても20年の懸隔は感じない。ミステリ史に一石ならぬ、文学史に一矢を報いた新本格ミステリの嚆矢と呼ぶにふさわしい、そんな一冊。
 ところで、作品全体を代表する意匠として中世ヨーロッパで流行した「トランジ墓」が出てくる。こういう静止、あるいは閉止=完結性の形式の中に、過程や、時間、歴史、奥行き、動きといった形式には収まりきらない余剰や欠如を備えた記号表現に惹かれる。まだ途中だが、「流線形」という言葉もそういう意味でおもしろい。読み物としておもしろく書かれているのでハナマル。

流線形シンドローム 速度と身体の大衆文化誌

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