the wrestler

 昨日は『レスラー』を観てから、スペイン料理屋で日米プロレス史を嫁に講義、『レスラー』の背景を補足して、自由闘論。
 なんで「80年代最高」なのか、ニルヴァーナと共にやってくる90年代が最低なのはなぜか、なぜランディは孤独なのか、どうして満身創痍のランディはそれでも飛ぶのか、なぜランディは惣菜屋で暴れるのか、などなど。
 でも、こんなん知らんでも、ミッキー・ロークの顔と身体と立ち振る舞いで十分泣ける。エンドロール終了までに平常心を取り戻して平静を装えなかったのは久しぶりだった。というか、「1,2,3,4」というカウントのあと、ブルース・スプリングスティーンが歌うエンドロールこそ泣ける。三沢のことがあったせいかもしれんが。
 家庭と仕事場が分断され、その間を「通勤」が橋渡しすることで成立したのが労働の近代。けれど、プロレスラーは、職業ではなく、ライフスタイル、人生そのもの。仕事もプライベートも通勤もあったもんじゃない。常に既に彼らはプロレスラーだった。もっともそんなん、今では、ファンタスマゴリーによってかろうじて召喚されるプロレスの幽霊なのかもしれないけどね。
 公開二週目なのに、上映回数はすでに一日二回。『ルーキーズ』なんか2つのスクリーンを使って一日七回も上映しているというのに。文化不毛の地や、ここは。