「ブタどもにとっては一切がブタになるのだ」

 『ツァラトゥストラ』読んだり、いろいろ書いたり、でも寝たり。
 ニーチェの思想を知ろうとは全く思わない。理解してやろうと思う。梅毒に冒され、己の死期を悟りながら書いたっていうコンテクストを考えると胸に響くものがある。三部あたりからおもしろくなってきた。ときどき笑ってしまう。
 それにしても、深淵をつくりだす、って今やニーチェのころ以上に難しいことだ。すっかり世界は平坦だもの。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 これのことかな、ひょっとして。
 宮崎哲哉から「あんた政治やんないの?」と言われながらも「ぼかあ、政治はあんまり」とかなんとか、なんとなくかわしてきた東が政治について論じますか、ようやく。いつだったか「朝まで〜」でツイッターの威力について熱く語ってたなー、そういえば。同語反復の閉鎖系社会学やオタク生態学の方に振れてから触手が伸びなくなってしまっていたのだけど、これはまあ読んでみるか、と予約。大上段に構え過ぎな気もするな。とはいえ、手堅く小さくまとまっちゃうより、やんちゃなほうが好きなんだな、やっぱり私は。stay young。
 政治についての論考は、時事もの(新聞とほぼ変わらん)を除けば読むのは好き。ただ今の私には、この時代、いかに政治の外部、政治と無関係なニッチをつくるか、のほうがおもしろい。保守的だの共和党だのはとっくに通り過ぎて、もういい加減、文化の政治学だのpersonal is politicalだの働くことは政治的だの言い続けることの危険、陥穽に敏感であるべきなんじゃないのかね。そういえばストリート系文化に関するある一冊は、まさにそういうドツボを全身で表現していた、という意味において興味深かった。政治のパンデミックは、現実的な政治の黄昏を上書きするだけ。清き一票じゃ何にも変わらないのと一緒でね。
 本って、大きな単位で物事をみてるものより、極私的な範疇で物事をみたもののほうが、たくさんの可能性を孕んでいる。大きなこと(国家だの民族だの人種だの)に拘わるより、人ひとりについて考えることのほうがよっぽど難解で、大切なことなんじゃないのかね。っていうのはただの独り言。
 それはさておき、「一般意志は実現できる」ってハードル高いぞー。できたら政治哲学史に残るな、三ページぐらい。