無為の贈与

 カルロス・テベスというサッカー選手がいる。
 貧困が暴力を唆し、暴力がいっそうの貧困を煽る街。埃が舞い上がり石ころが散らばる田舎の路上でテベスはサッカーを覚えた。サッカーしかなかった。暴力の口車に乗らずに地に足をつけ生きるためにはボールを蹴るしかなかった。前は見えなかった。後ろも振り返らなかった。たびたび血が流れる街でボールだけを追い続けた。命以外のすべてを賭けたギャンブルだった。そしてテベスは勝った。死屍累々と続く夢破れたアマチュアたちを尻目に、テベスはボールを追い続けプロになった。代表にも選出された。人も羨む札束も名誉もメダルも手に入れた。
 短躯ながら頑健、敏捷、そしてなにより類をみない勝負への拘り、強烈なエゴ。まったく相容れない。洗練された戦術、試合のたびごとに練り直される周到な戦略、厳格な規律を旨とするモダンフットボールとはまったく相いれない。無骨さは、テベスの真骨頂。彼の一挙手一投足は、常に生きている。ただ単に生きている。
 数シーズン前、下部リーグへの降格争いの渦中にいたウェスト・ハムを救ったのはテベスだった。喉元に大きな傷をもったアルゼンチン人青年は、覇気のないチームにやってくるや否や、一人別次元のプレイを続けた。ピッチを縦横無尽に駆け巡り、シュートを撃ったかと思えば、次の瞬間には相手チームの保持するボールを追いかけまわし始め、根負けした相手がボールを手放すやすかさず奪い、一直線にゴールへ向かって突進していく。止まらない。分厚い胸板は萎まない。もはや勝っているのはどっちなのかわからない。周りの選手たちが誰彼かまわずただの風景になってしまったかのように止まって見える。ピッチの上で疾駆するのはただ一人、テベスだった。彼の躍動に欣喜雀躍に、戦術も戦略もなかった。ただボールを奪い、ゴールを決める。スペースを限定してチームでボールを奪う美しいディフェンスも、緻密なパスワークを駆使して針の穴を探すオフェンスも、彼には一切無縁絶縁。テベスはずっとボールだけを追いかけていた。なぜなら彼はそうやってプロになったのだから。そうやって生きてきたのだから。そしてテベスがピッチの上で「生活」しているうちに、ウェスト・ハムの士気は高まり、奇跡的な残留劇へと結実した。あまりにセンセーショナルなプレミアデビューだった。
 リーグの盟主、マンチェスター・ユナイテッドから声がかかる。テベスはチャンピオンチームのユニフォームを身にまとい、走り始めた。チームは勝ち続けた。イングランドの悪童ルーニーポルトガルの伊達男ロナウドと組む攻撃は息もつかせぬ迫力で、特に韋駄天ぞろいの前線が繰り出すカウンターアタックは他の追随を許さない威光に溢れていた。チームはヨーロッパの頂点に立った。だが、頂点に立つ瞬間、テベスはピッチの上にいなかった。
 翌シーズン、テベスはアラブ資本を背景に急成長を続けていたマンチェスター・シティに移籍する。エース格としてチームを牽引するテベスの存在感は濃度を増した。ただ守備を重視するチームの方針からか、全体的に引き気味のチームにあって、テベスは最前線に陣取り、うろうろとすることが多くなった。ゴールを決め続け、得点王にもなった。ただ彼の顔から覇気は消えていた。強迫的なプレイは影をひそめた。やがて問題発言が目立つようになった。引退すると盛んに口にするようになった。監督ともぶつかった。大補強を繰り返すチームの青写真に、テベスは必要不可欠なピースではなくなってしまっていた。そもそもテベスはピースではなかった。彼はそこでただ生きていただけなのだから。
 サッカー選手という職業は強迫的だ。トレーニングと試合と移動の繰り返し。怪我をすればリハビリの毎日。それでもプロになり一定の評価を得るまでは目標を見いだせるだろう。だがある程度登りつめてしまえば、あとは給金や移籍金の多寡だけが取りざたされる。いくら活躍しても歴史には残らない。ただ記録と刹那的な名声が与えられるだけ。パパラッチやファンに追いまわされ、金目当ての女や親戚が手ぐすね引いている。雑音と重圧に耐えられなくなれば、酒や薬物に手を出し、瞬く間に地位を追われる。雑音と重圧を断つためには、ボールを追い続けるしかない。サッカー選手であるということは、サッカーにまつわる喜怒哀楽をすべてサッカーを続けることで解消する撞着を生きることに他ならない。
 テベスにはサッカーしかない。そのサッカーしかないという強迫がピッチの上で類まれな才覚を表現した。しかし、その強迫がまた今度は彼からサッカーを奪おうとしている。テベスのプレイにはサッカー選手を駆り立てる強迫が凝縮されている。だからこそ、彼は誰よりも早く燃え尽きようとしているのかもしれない。惑いに憑かれた選手はピッチを去る。
 ひとつの駒ではなく、存在。存在理由。なんのために? 無為の贈与が絶えるとき。
 ピッチ上のテベスにはある種の深淵が覗いていた。与えるものが何もないのに、彼は与えなくてはならない。それがプロフェッショナルの宿命であり、だからこそそこに殉ずるテベスのプレイは胸を打つ。目的などない。生きるだけ。
 テベスはアルゼンチンのストリートによく映える。