ある日の倫敦

 ナショナルギャラリーは教育機関なのだろうか。下手な絵画史一冊読むよりも、ここの布置連関を解釈していったほうがずっと刺激的。ざっくりしすぎているきらいはあるが、さすが博物学帝国、整理がうまい。
 パターン化された神学的構図から神話・歴史と神学の習合、肖像画、世俗化。フランドル発油彩画。プロフィールではない肖像画の先駆者ボッティッチェリ。例外的な風景画。15世紀から音楽の表象。ラファエロのプロポーション感覚はどういうこと? ウルバイン=影を入れた肖像画ルネッサンスからアレゴリーが急増。ルネッサンスあたりから肉感的、ダイナミック、表情が豊かに。ヨセフの再評価。などなど
 真剣に鑑賞しているせいで、ルネッサンス中盤で目がへこたれる。また出直そう。ひとつひとつについていうと、ここまでみたところ、ファン・アイクのトロンプルイユとウルバインのメタモルフォーゼが印象的。まだまだ知識を素材に分解しきれない半熟目玉ではあるものの、ミケランジェロもレオナルドもボッティッチェリも、イタリアに残っているもののほうがずっとおもしろかった、と言っておこう。が、陳列のセンスと手際のよさは英国人の勝ちじゃないか。
 今日は終日大英博物館。リーディング・ルームには3年後まで入れないらしい。3日じゃないよねと訊き直すが、3年で間違いないらしい。なんと、がっくり。首の項垂れに任せてだだだっと前のめりぎみに歩いて回る。
 ホモ・エステティックの情熱よりも、あらゆる文明・帝国を横断・渉猟・裁断・横領・陳列する大英帝国びとの狂気にくらくらする。個々の品々よりも、時間を空間化した館内の密度に中る。
 装飾品は中世からバロック期ぐらいまでが特に目を惹く。メディチ家のコレクションよりも良質なんじゃないか。贅を尽し手間暇かけてこれでもかと人間礼賛。日本なら蒔絵に相当するような細かい仕事。
 細やかさと対極に位置するのが、簒奪者たちの大胆さ。エジプト、グレコ・ローマン、ビザンティン、委細構わず、小さいものは根こそぎ、大きなものはポータブルなところまで割って運ぶ。塑像の頭部はすでにもがれていたか、ばらして売ったか。いやこれは、エジプト、抗議していいに決まっている。
 エジプトものがもっとも充実している。ロゼッタストーンよりも、マミー。
 一日歩いて私の足は、犬も歩けば必ず当たる立派な棒になった。