小春日和

 11月も終わろうというのに春のような陽気。季節外れの小春日和。歩くと暑い。汗がにじんでくる。
 引退後の山口百恵が一般人として暮らしはじめるときに、どんな名前にしたらよかったのか、ふたりで考えながら歩く。ゼロをひとつ足して千恵。山から川口。口に格子窓をつけて川田。川田千恵。だいたいそのあたり。
 坂を登って先生と会う。会うたびにプライベート情報がひとつ、またひとつと平積みされていく。小さな山々のあいだに想像の谺を響かせてみる。どんな人なんだろう、この人。ミステリー。
 いつもの居酒屋で昼食を食べる。近江八幡と卓球と生ビールで小一時間。
 ファミレスでチョコバナナのアイスティラミスをつつきながら、『ロックンロールミシン2009』を駆け抜ける。口のなかを冷やしながら、駆け抜ける。服飾に魅せられた向う見ずな若者たちの物語に夢中になる。サラリーマンや主婦たちのお喋り、ナイフやフォークや箸や食器がぶつかる音。生活音や雑音のなかでしか夢中になれないのはなぜだろう。
 買い物しながら、中学三年間を共に過ごしたサッカー部のチームメイトが自殺した、という一報をふと思い出す。昨日のことだ。
 
 眼鏡をかけたままサッカーをやるやつだった。眼鏡をいったん外してジャンプしてヘディングして着地してまた眼鏡をかけるやつだった。足が速かった。でもサッカーは下手だった。
 あいつの実家は稲作農家で、一度稲刈りのバイトをしに行ったことがあった。米が詰まった袋を出荷用のトラックに積んでいった。ひとつひとつがとても重かった。あんなにサッカー漬けで筋トレ漬けだったのに、次の日に筋肉痛になった。
 よく笑う奴だった。甲高い声で唾を飛ばしながら喋る奴だった。
 でもどこか人に合わせることにばかり気を遣っている奴だった。ヤンキーに絡まれても従順だった。
 高校は別々だったし、特に親しい間柄でもなかった。それでも、生き続ける価値がある奴だった、と思う。
 あんなに広い水田がある家で育ったはずなのに、知らず知らず自分で自分の世界を狭めてしまうものか。墓穴を掘るしかない狭い場所へ。
 気持ちはわかる。けれども、世界は広い。墓穴なんかいつでもどこでも掘れるほどに世界は広い。
 あいつは死ぬとき眼鏡を外していたのだろうか。もう一回だけ眼鏡をかけてみればよかったのに。眼鏡を外してなかったんならきっと度が合っていない眼鏡をしていたんだろう。きっと眼鏡に金を惜しんだせいだろう。どこかしら間が抜けたところのある奴だったから。
 
 季節外れの間抜けな小春日和に汗をかきながら、少しだけあいつのことを思い出した。