コルセット

 何年ぶりだろうか、一泊二日で実家に帰省した。といっても、一泊したのは青島の旅館で、翌日に出向いた実家での滞在時間は正味4時間ほど。
 6時間にわたる手術を一週間前にしたとは思えないほど父は元気で、拍子抜けした。首に嵌めたコルセットもただの飾りのようだった。
 一瞬泊まろうかとも考えた。しかし、帰省して両親に顔をみせたというだけで十分な手土産、とひとり合点することにした。どうせ長々と滞在しても、いろいろうるさいのでかなわない。
 思考は脳に局在しているのではなく、からだのあちこちに偏在している。ヴァレリーがいうように、人間は外肺葉性の生物なのだから、脳味噌と皮膚はもともと同じ釜の飯を食っていたことになる。どんな飯かまでは想像したくないけど。
 というのも、宮崎という場所でときおり訛る自分の言葉を聞いて、言葉は頭で作られるものではないのだな、と思うから。訛りはわたしの意志とはかかわりなくどこからともなくやってきて、勝手にわたしの声を南国風に調律しようとする。方言を喋れと言われてもできないくせに、喋るつもりがなくても訛りは口をついて出る。耳が受動的な器官ではないのと裏腹で、発声は必ずしも自分の思い通りにならない。わたしはコルセットを嵌められている。なにも縛りのない人間などどこにもいない。
 それに今年の冬の宮崎は、思い出の故郷よりも、ずっとずっと寒かった。