犯罪、あるいは『批評的差異』への/からの跳躍

 犯罪とは、内面から外部へ移すこと、明るみに出すこと、はては清算することにある。
 というのも、犯罪はそれまでたくさんある可能性のひとつ、けっきょくのところひとつの夢だったのだ。
 犯罪者というのは、事実しか勘定できず、存在しないものはゼロと見なす人たちだ。
――ポール・ヴァレリー「言わないでおいたこと」『ヴァレリー・セレクション 上』(280)


 ベンヤミンの壁龕、パサージュ。内面と外面の差異がなくなること、あるいは両者のあいだに「関係」がなくなること。
 幻灯機等光学機械による映像の網膜への投影、内面の表出。
 クロード・グラス。異世界をつくる道具から視覚の補完へ。光学機械の眼球化。見ることの問い、転じて聴くことはどうか。音響の皮膚。
 内面と外面のあいだにある差異の消失、空間の平板化によって夢=時間は喪われる。
 内面の承認によって精神異常は法の外部に位置づけられる。判断は宙づりになる。では、内面が認められない、すべてが外面化された世界においてはすべてが犯罪になるのか、いやむしろ犯罪は可能なのか。
 ポール・ダゴニェの一連の仕事。