2012年03月22日のツイート
@_pilate: モノフォニーは「単声」、ポリフォニーは「多声」、とよく訳されている。しかし、どちらも多声音楽。音の構成が違うだけだと思うのだが。バフチンのドストエフスキー論の扱われ方を見るといつも「?」が過ぎるのは、そういう誤訳に淵源があるような気がする。
2012-03-22 21:24:41 via web
@_pilate: 『アンフォルム』を少しずつ読み進めている。バタイユ論とグリーンバーグのモダニズム論を同時に乗り越えようという野心的試み。その評価は毀誉褒貶分かれるところだろうけど、disputableな書物はいつでも刺激的。
2012-03-22 21:19:03 via web
@_pilate: ディディ=ユベルマンの著作を読んでいこう。英訳よりも和訳の方が数が多い。翻訳大国の面目躍如。できればユベルマンのバタイユ論もどなたかに訳していただきたいところ。
2012-03-22 21:15:05 via web
@_pilate: まだ慣れない。けど、ものは試し。
2012-03-22 17:58:26 via web
@_pilate: どれ、アーセナルの試合の再放送があることだし、買い物に行くか。
2012-03-22 17:57:15 via web
@_pilate: なるほど、括弧がいかんのだな。了解。
2012-03-22 17:26:20 via web
@_pilate: うーむ、どんくさい。#エクソシストとの対話、おもしれー
2012-03-22 17:25:44 via web
2012-03-22 17:20:59 via web
@_pilate: 失敗した。
2012-03-22 17:18:51 via web
2012-03-22 17:17:52 via web
@_pilate: 風呂に入った。風呂に入れないのは、いったいなにに至る病なのだろう。
2012-03-22 17:16:10 via web
@_pilate: さて、仕事するか。
2012-03-22 14:21:43 via web
@_pilate: たとえば、デリダのエクリチュールは、プロクルステスの寝台に載せられて、懐疑の「理論」として流通している。「脱構築」は批判や破壊の道具でしかない。「理論」じゃなくて、彼の言葉を読まなければ。「脱構築」は対象を信じ「すぎる」こと。わたしはそう思う。
2012-03-22 14:20:38 via web
@_pilate: 疑うことは案外簡単なこと。疑いの強度は別にして。しかし信じるのは難しい時代。
2012-03-22 14:19:02 via web
@_pilate: 『エクソシストとの対話』。バチカン公認エクソシストに取材するノンフィクション。力作。宗教ってなんだろうと考えることしきり。それに、宗教に拘わらず信仰という問題について考えるきっかけになる。
2012-03-22 14:13:17 via web
@_pilate: 『阿片』。列車の猪突猛進を、情報の伝播を、政治家の先走りを、銃弾の閃光を、つまり速度に斜交いをかける物質。阿片のみは空を飛ばない。ニーチェの大地に蹲踞して、速さに眩まされた事象をみじん切りにする。言葉は遅い。スローモーションは批評の時間感覚。阿片が足りない時代だ。
2012-03-22 13:35:59 via web
@_pilate: ジャン・コクトー『阿片』、すばらしい。SFが背負う原罪は、プラスティックの影響力を予見できなかったところにある、とはエーコの言。コクトーは自らの言語をプラスティックなものとして捉え、それらを素材・マテリアルの地平を這わせる。
2012-03-22 13:29:03 via web
@_pilate: 『千のプラトー』、ようやく中巻へ。『アンチ・オイディプス』はつまらなかったが、こちらはおもしろい。今さら読んでいるとは誰にも言えない、と穴を掘って叫ぶ。穴を掘る場所を間違えた。
2012-03-22 13:24:39 via web
@_pilate: 円城塔の芥川賞受賞を嬉しく思う。彼のいうとおり、彼の小説は「リアリズム小説」だから。ほとんどの小説は、今やハーレークインかファンタジーだ。
2012-03-22 13:21:51 via web
@_pilate: いまいち仕組みがわからないが、見よう見まねで呟いてみる。ぶつぶつ。
2012-03-22 13:19:08 via web
2012-03-22 13:18:02 via web
@_pilate: すべての可能な文字列。全ての本はその中に含まれている。―円城塔『Self-Reference Engine』
2012-03-22 12:19:46 via web