U.W.F.戦史その1

U.W.F.戦史

U.W.F.戦史

 プロレスの成り立ちから新日本の危機に至るまでを早足で駆け抜け、第一次U. W. F.崩壊、それから新日本との対抗戦というかたちをとった雌伏の時代を、膨大な一次・二次史料を渉猟し考証している。
 「U」といえど一枚岩ではなく、佐山のシューティング、藤原のプロフェッショナルプロレスリング、ゴッチの「キャッチ」等が林立し、それらの思想のぶつかりあいが、リング上での試行錯誤に体現されていた。著者の解釈によれば、その雑多な野合集団を貫いていたのは「格の否定」だったという。
 よく「U」は、プロレスやカラテ等のスポーツから現在の総合格闘技へバトンタッチをした「消滅する媒介者」として語られる。地味な関節技や単純な蹴りの果たす役割を観客に説き、啓蒙していったという物語は、「U」の意義を説明する定型のひとつだろう。けれども、実際のところ、「U」に集ったものたちは、金網のオクタゴンで殴り合いをするような純正の格闘家ではなく、あくまでもプロレスラーの変種だった。彼らが革命的であったとするなら、それはプロレスの否定としてではなく、長州や藤波が起こしたプロレス内革命と比較されるべきものとして、だろう。
 格を維持する結末が繰り返される疑似世代間抗争ではなく、格のグリッドから自由な強さの表現。果たして「U」が求めていたのは、プロレスが自家薬籠中のものとする流血の魔術の否定、プロレスの血脈に対する瀉血だったといえるだろうか。
 しかしながら皮肉なことに、プロレス内の異分子「U」潰しのアングルだったはずの、前田日明のニールセン・アンドレ戦のセメントマッチふたつは、彼を時代の寵児にし、脱プロレス、総合格闘技への道を切り開いてしまう。新格闘王の称号はほとんどスティグマとさえ言えるかもしれない。観客は「U」に伸るか反るかの真剣勝負を期待するようになる。プロレスファンの永遠のテーマ、「誰が最強か」という問いは、プロレスの外部へとその場を移すことになる。
 という私の解釈。
 お楽しみはあと二冊分ある。