異種格闘技から総合格闘技へ 

U.W.F.戦史〈2〉1987年~1989年新生U.W.F.復活編

U.W.F.戦史〈2〉1987年~1989年新生U.W.F.復活編

 あっという間に読んでしまった。第二巻は、第二次UWFの誕生からその崩壊の予兆までを追っている。
 文句を少し。類書にまま見られることだが誤字・脱字が多い。繰り返しが多く、あまり構成力がない(しかし、資料は潤沢で読みごたえがある)。柳澤健に厳しく、二宮清純に甘い。カイヨワの遊戯論まではわかる。しかしホイジンガ『中世の秋』は冗長に拍車をかけるだけだろう。本人は中立のつもりだろうけど、明らかに前田日明寄りの視点から書かれているじゃないか。
 いや、もちろん、前田寄りだからいいわけだけども。
 佐山と藤原が第一次UWFの頃は中心だった。しかし第二次UWFは前田なくしては語れない。いや格闘技は、人生は・・・?
 私が前田の動向を追い始めた頃には、すでに彼は慢性的な膝の故障を抱え、ほとんど練習もままならず、しかしそれでも前田ありきの団体「リングス」のために戦っていた。私は後追いでUWFのビデオをレンタルしては虱潰しに見ていった。全盛期の前田は躰もシャープで、威圧感に溢れていた。しかしそれでも私が好きな前田は手負いの前田であり、ヴォルク・ハンに人工関節の入った膝を極められる前田であり、しょっぱい試合をした長井にその練習さえ困難な足で制裁を加える前田だった。ビデオで拝む栄光の過去に比してあまりにも痛々しい前田の窮状をみるにつけ、団体のエースに対してあるまじき判官びいきに精を出す私だった。
 そこまでしてUのスタイルに拘った前田が新日本を退団するきっかけになった長州顔面キック事件。当時の、新日本のフロントが腰の引けた対応をしなかったら、前田は新日本のエースになっていたかもしれない、という本書の解釈には驚いた。それなら、UWFもなかっただろうし、新日本がUWF化していたかもしれない。U系のレスラーに加え、橋本やライガーが中心になり、レスリングの天才・武藤の輝く場所はなかったかもしれない。
 さて、UWF崩壊の遠因はさまざまだろうけども、絞れば、1.練習生の死亡事件、2.フロントの暴走、3.ルールの厳格化といったところだろうか。
 1.に関しては、道場の鬼、藤原の合流が遅れたのがすべてではなかったか。育成経験のないUWFの面々に、一から総合格闘家並みの人材を育てるのは無理があっただろう。その点、道場で基本からみっちり若手をしごいてきた豊富な経験をもつ藤原がいれば、この惨事は防げただろう。
 2.に関しては、前田と社長である神とのあいだに入って意思疎通を図る仲介者がいなかった、という点が大きいか。前田は時代の寵児であり、多忙を極めていた。20代の若輩社長には経験が不足していた。
 3.はのちに総合格闘技をひとつのエンターテインメントとして確立することになる画期的な一里塚ではあった。しかし、真剣勝負をしたい血気盛んな若手にも、もっとストロングスタイルのレスリングがしたいベテランにも、ルールの縛りは窮屈だった。観客は少しずつUWFスタイルに馴染んできていたが、リング上の選手たちの軋轢はどうしようもなかった。噛み合わない試合が多かった。
 次はUWFの崩壊と、その後のU系三団体鼎立の時代。