『モダニズムの南部的瞬間』ツイートまとめ

 

モダニズムの南部的瞬間

モダニズムの南部的瞬間

 ※本年6月に読みながら記したメモツイート。その時々の思いを正直に書いております。今読み返すと、見当外れかな、と思うこともそのまま載せております。 

 『モダニズムの南部的瞬間』一章まで。新批評とアメリカニズムの実証的接続が少し慌ただしい気はするものの、それは引き続く章のなかで繰り返し形を変えて論じられることになるのかな。あとは_I'll take may stand_の中身はこれから精査するのかな。新批評の宣伝が戦闘的語彙に満ちているとのことだが、『私の立場』も戦争の語彙に溢れている。とまれ、いわゆる「敗北を抱きしめる南部」、「廃墟的南部」といったアメリカ南部のクリシェは、この本を契機にいい加減効力を失うだろう。特にWF方面。時間が止まった場所を批評の時間を止めることで裏書きするのはもう終わりだよ。
 「新批評は、男らしさに欠けたロマン派詩を受動的に読む行為を捨てて、能動的に形而上詩やモダニズム詩を読む知的行為を教え込む規律・訓練作業という側面を持っている、と言えそうである。」(越智博美『モダニズムの南部的瞬間』 166)
 「同じ生活を集団で営んでいた状況が[新批評家たち]を強力な絆で結びつけ、ある種の兄弟関係にも似た同族意識を育んでいた[・・・]。彼らはしばしば自分たちのことを教会や友愛団体の仲間を指す"brethren"と称していた。」(越智博美『モダニズムの南部的瞬間』 168)
 たとえばナッティ・バンポーのような漂白する独り者に男らしさを重ねるのは、_American Adam_あたりからなのだろうか。20世紀初頭、男らしさはホモソーシャルな集団行動によって育まれる、というのはいろんなところで確認できる。孤独はロマン派的性癖として退けられたのかな。
 若者文化が大学で生まれ、学生たち(白人男性たち)が乱痴気騒ぎに浮かれている最中、どの程度、新批評家たちのいう知的洗練が学生たちに受け入れられたことか。新批評は大人な知識人層の憚られる口々に膾炙しただけのような気もする。とまれbrethrenとか呼ぶなんてロマンたっぷりじゃないか。
 二章まで。誠実かつ懇切丁寧。研究者ってほんとすごいな。頭が下がる。
 「社会や歴史よりもむしろ複雑な心理をリアリティと捉えることが、イデオロギー性に捕らわれない自由な個人であり、そのような個人を唱える文化人がリベラルなアメリカを代表する」という冷戦期リベラリズム、政治からの退却、形式主義の隠微な政治性(『モダニズムの南部的瞬間』213)
 論理的にはわかるし、そのようにイデオロギー的政治から文化政治へとシフトしていく流れに乗れば、50年代以降の人種からエスニシティへのすりかえ、70年代以降の文化戦争までうまく説明してしまえるのだけど、そこまで丁寧に論じてきたジェンダー関数はどこに行ったのだろう。
 ここにきて便利な枠組みに頼ってしまった感は否めない。ロマン主義的個人を放擲し、形式的、あるいは統計上の数字に還元できる社会学的な個人への移行、その普遍化、それに伴う平等=平坦という価値の平準化、などなどという物語に、すべてがぴったり嵌ってしまう。
 本当にフュージティヴ=農本主義=新批評というのは、そんなに滑らかにかつ一枚岩なものとして記述できるのだろうか。新自由主義の言説に嵌めこむことを予定していたかのように感じる。予定調和というか。しかしまだ三章までなので、これはあくまでも現時点での印象。
 一番の違和感は、キャッシュの著書をほんの数行で駆け抜けてしまうところ。ネオリベラリズムへの軌轍に乗る部分だけを切りとっているのではないか、という不信が芽生えてしまう。というか、疑問。そうした疑問を念頭に置いて、また4章以降を読むことにする。
  昨日だったか、越智博美『モダニズムの南部的瞬間』読了。『帝国日本の英文学』路線、つまり日本への米文学の輸入を読みなおしていこうとする著者の未来形を垣間見た。言説を裡から食い破る獅子身中の虫としての小説の力を見たかった思いは残るが、批評が果たしてきた役割を丁寧に辿った功績は大きい。
 少女向け小説『赤毛のアン』や『若草物語』における翻訳・縮約の問題を扱った「戦後少女の本棚」が最も印象的。その次はホモソーシャル、国家の統合、マスキュリニティの確立といった19世紀末の諸状況が互いに契りを結び、新批評、とりわけアレン・テイトもその結託に一枚噛んでいるという立論。
 世紀転換期から冷戦期以前までのアメリカをマスキュリンな言説を生成する磁場として措定し、それが逆らい難い重力を形成し、様々な人や出来事がそこに巻き込まれていく様を丁寧に追っている。その重力に対する斥力、とりわけ批評における斥力との関係を追うのが今後の研究者の宿題かもしれない。
 いずれにしても私には何回生まれ変わっても絶対できない仕事。研究者って凄いと思わせる一冊。以上、越智博美『モダニズムの南部的瞬間』について。