騾馬と欲望

 

これはわれわれ人間の下半身が持つ情欲あるいは欲望を、簡潔に表現した、というだけではなく――同時に実に巧みに揶揄もしている言葉だというのです。そういうわけで私の父はその生涯のずいぶん長い期間にわたって、いつもこれを借用することにきめていました――欲情などという言葉を父は一度も使ったことがなく――常にその意味で騾馬というのでした――ですからその期間を通じて私の父は、自分の騾馬、あるいは時によると誰か人の騾馬の、骨組みの上あるいは背中の上に跨って載りまわしてばかりいたといえるわけです。(『トリストラム・シャンディ 下巻』 213)

 ある種のeuphemismというより、完全なる下ネタだろう。語り手が馴染みの「騾馬の顔」(下巻 92-94)もやはり男性性器と関連する。騾馬は相続される。「連想」は騾馬と性器を繋げる(空間を広げ伝染する)だけではなく、父の欲望を子へと受け渡す(時間を越えて遺伝する)。「連想」をデリダイプセン的「亡霊」と重ねてみる、そんな連想。