シャンディ

 ゼロの章

この章の最後まで行きましたら(それよりも前はだめですが)、ひとつ皆さんと一緒に前に引き返して、空白のままだった二つの章にもどらねばなりません。あの二章のおかげで、私の名誉は、ここ半時間ばかり血を流しっぱなしなのです――私は何とかその血を止め…

 書く機械、書く解剖標本

少なくとも一つだけ私にとって慰めになるのは、私はこの章のはじめの所で、批評家の攻撃とは無関係のほんものの熱病におそわれて、ざっと八十オンスばかりの血をこの週とられていることです。したがって今のところは、私の筆のしぶる原因は脳髄の発する微妙…

 interiorを宿す外套、もの書くマテリアリスト

ルドヴィコス・ソルボネンシスはこういうことはすべて肉体(本人の言葉でいえば「外的物質」)だけの問題だといっていますが――これはまちがっています。魂と肉体は、何かを受けるという場合には必ず共同受益者の関係にあるのです。人間が衣服を身につければ…

 騾馬と欲望

これはわれわれ人間の下半身が持つ情欲あるいは欲望を、簡潔に表現した、というだけではなく――同時に実に巧みに揶揄もしている言葉だというのです。そういうわけで私の父はその生涯のずいぶん長い期間にわたって、いつもこれを借用することにきめていました―…

血管、血流

母の血管には一年十二カ月の全部を通じて、節度を心得た血の流れが整然と流れていましたし、それは昼と夜とにかかわりなく、いざというような時でもまったく同じでした。あるいは信心深い人の手に成る論文に見られる初心者的熱烈さから、体液の中にすこしで…

 眼の虜、眼を覗く

――その眼にみちあふれていたものは、やさしい挨拶であり――柔らかな応答であり――つまりそれはものいう眼だったのです――と申してもそこらにある出来そこないの楽器の一番高い音みたいな、お粗末なキーキー声で会話する眼というのにも私はたくさんお目にかかり…

 皮膚と「落ちる」

五、六分もするうちに、私には彼女の中指のさきもかすかに感じられました――やがてその指は人さし指といっしょにピッタリ私の肌の上におかれ、しばらくはそのまま二本の指がグルグルグルグルとさすりまわっていました。そのうちに私の頭に、これは恋に落ちる…

 霊感、自然、秩序

既知の世界のあらゆる地域を通じて現今用いられている、一巻の書物を書きはじめる際の数多くの方法の中で、私は私自身のやり方こそ最上なのだと確信しています――同時に最も宗教的なやり方であることも、疑いをいれません――私はまず最初の一文を書きます――そ…

 騾馬の顔

ところでこの騾馬という奴は、私には(たとえどんなにいそいでおろうとも)到底たたく気持ちになれない動物なのです――騾馬という奴はその顔つきにも物ごしにも、辛抱強く苦しみにたえておりますという文字が、いささかのてらいもなくありありと書いてあって…

 速さの哲学

しかし私はこれこそこの世の中で、快速に旅をする最上の方策だと信じます。苦虫をかみつぶした気持ちでいれば、何ものもあまりこちらに好意を持つようには映りません。――つまり引きとめるものがほとんどあるいは全然ないのです。(『トリストラム・シャンデ…

 運動と停滞

ところで私は(たいへんやせっぽちですから)意見がちがうので、大いに動き続けていることはそれだけ生きがいのあること、それだけよろこびを感ずることであり、――じっとしていること、あるいはノロノロと進むことは、つまり死であり地獄に落ちることだと思…

 読者のための空白

このことを正しく認識していただくために――どうぞペンとインクをとりよせて下さい――紙はお手もとに用意してあります。――そこでどうぞお席におつきになって、この女性の姿をお心のままに描いてみて下さい――できるだけあなたの恋人に似せてでも――奥さんにはあ…

 速度の近代

ところで、満腹で書いている時の私は、――生あるかぎり断食の状態でものを書くなどということはもう二度とあるまいという気持でペンを走らせるのです。――言いかえれば、この世の心配苦労もあらゆる恐怖も、すべて忘れて書くのです。――身に持っている傷跡の数…

 抹消による自己批評

――しかし人間だれしも欠点は持っているもの! しかもこの場合ヨリックの欠点をさらにいちだんと小さなものにし、ほとんど拭い去ってしまっている一事というのは、問題の一句はすこしのちになって(ということはインクの色合いがほんのちょっとちがうのでわか…

 探偵の洞察

人間には自分も気づかぬ無数の穴があって、とさらに父は続けて、するどい眼力の者ならその穴からたちまちその人の魂を見透すことができる。――だから分別のあるほどの人なら、部屋に入ってきた時に帽子をぬいで下におくにも、――あるいはまた出ていく時に帽子…

 完璧のための横紙破り

――その通りです、旦那――たしかにここの所にまるまる一章抜けています――そしてそのためにこの書物にできた十ページの穴は、――が製本屋は阿呆でも悪党でも頓馬でもありません――それにこの書物の不完全さが(すくなくともこのことのために)すこしでもふえてい…

 章についての章

――幕を引くんだ、シャンディ!――はい、引きました――ここんところで紙の上に線を一本引くんだ、トリストラム!――はい、それも引きました――そこでほら、新しい章というわけです!(『トリストラム・シャンディ 中』 71) 作品を区切ること。パンクチュエイション…

 蠅と人間の会話

「――さっさと飛んで行くがよい――おれがおまえを傷つける必要がどこにあるだろう? この世の中にはおまえとおれを両方入れるだけの広さは確かにあるはずだ」(『トリストラム・シャンディ』上巻 301)