書く機械、書く解剖標本

 

 少なくとも一つだけ私にとって慰めになるのは、私はこの章のはじめの所で、批評家の攻撃とは無関係のほんものの熱病におそわれて、ざっと八十オンスばかりの血をこの週とられていることです。したがって今のところは、私の筆のしぶる原因は脳髄の発する微妙な霊気のほうよりも、血液の中の血漿あるいは血球のほうにあるのかもしれないという希望が若干は残っているわけです――それはよしどっちであろうとも――ここで一つ霊を呼び出す呪文をとなえてみることも別に害にはなりますまい――私としては事の決着はすべてその呼び出された霊にまかせて、私に霊感を吹き込むなり、あるいは血を補う注射をするなり、思い通りにやってもらおうと思うのです。(『トリストラム・シャンディ 下巻』 291)

 輸血といえば『ドラキュラ』を思い出す。*1
 霊。語り手は自らを機械になぞらえているが、霊はオペレーターのようなものか。19世紀に入ると、交霊会やエクソシストの類が流行することになる。心霊主義は案外、近代文学に端を発するものなのかもしれない。
 また、医学と美学、さらには神学の混淆が顕著。「連想」によって外へ外へ片手を伸ばしながら、反対の手で自らを解剖して読者にご照覧願う。1661年、マルチェロマルピーギが毛細血管を発見したのち、血管凝固剤の注入によって血管の枝葉を露出させた人体標本が17世紀中葉ごろから出回っていたようだ。それらは医学的な標本というよりも、美学的アレンジメントというようなものであったらしい。解剖学的文脈を考慮するなら、血管はもはや目に見えないものではなく、見せびらかすものですらあったのかもしれない。猟奇博物館へようこそ ─ 西洋近代知の暗部をめぐる旅参照。生き生きした屍体を保存するエンバーミングは、文化史的にはデスマスクや蝋人形の系譜として理解すべきだろうが、技術的には「ヴァニタス」の美学に貫かれた人体標本のほうが親和性は高いように思う。
 さらには1920年代のシュールレアリストたち、特にアンドレ・ブルトンによる「宣言」。もの書く自動機械というコンセプトは、神意の介在の有無にかかわらず、スターンにも共通している。あるいはケルアックの『路上』。もっとも彼らが純粋機械にはなれなかったという当然の顛末については、彼らが遺したたくさんの草稿が雄弁に物語っている。

*1:http://www.miguchi.net/neuron/diarypro/diary.cgi?no=1330によれば、17世紀ごろから輸血の研究は進んでいくようだ。